余生の設計図~65歳からの「やりたいことリスト」
概要
60~65歳ごろまでに完全に退職して無職になる人も多い。その後、長寿ならば、90~95歳まで、「人生で最初で最後の30年間もの自由時間」がある。これを「余生」と呼ぶならば、できるかぎり、快適で充実した楽しい余生にしなければ、もったいない。そのためには、「許された時間の中で、自分は何をしたいのか」、「何をすべきか」、「何をしてはならないのか」という自分自身の整理が必要だ。「寿命までに、やりたいことリスト」が「余生の設計図」だ。
余生は思いのほか長い20~30年間
国際的に「人生100年時代」と叫ばれて久しい。日本でも、統計的な平均寿命の数値にかかわらず、実際には、身の回りでも90歳以上の高齢者は珍しくない。
一方、定年退職の年齢は延長傾向にあるが、サラリーマンの場合、現時点では、65歳前後までに再雇用が終了し、完全に退職して無職になる人も多い。その結果、本人の寿命にもよるが、いわゆる「余生」は、長寿の場合には、60~65歳ごろから90~95歳ごろまでの約30年間にもなる。
この30年間は、大半の人は年金以外の収入は少なく、常に心身の健康の不安を抱える。前後して、親や家族の医療や介護、施設入所、冠婚葬祭、相続や実家の跡片付け、空き家対策等が深刻になる。
両親や叔父叔母などの親類・友達・知人が次々と逝去する。健康寿命を迎え、自分自身や配偶者の認知症、病気の介護、生活支援が始まる。そうした中で、自身の配偶者やペット、友人とも死別し、話し相手や相談する家族がいなくなる。
さらに、乏しい年金生活の中で、住宅、家電、家具、自家用車なども次々と老朽化してくる。年齢的にも新たなローンが組めないことに加え、点検商法など詐欺的な悪質修繕業者もいる中で、高齢者だけの世帯での修繕、転居、固定資産の売買、大きなリフォーム等はリスクもあり、課題が多い。
しかも、近年は高齢者を狙った振り込め詐欺などの特殊詐欺、独居老人を狙った強盗や窃盗、詐欺的な販売等も目立つ。また、さまざまな契約や役所関係の手続きにしても意外に難しくて煩雑だが、一人ひとり内容や事情が違うので、第三者に相談しても、必ずしも、うまくいかない。
これから先、どう見ても、悠々自適の余生、バラ色の老後が待っているとは思えないが、そんなことを言っていても、何も始まらない。完全に退職しても、「やるべきこと」、「懸案事項」、「悩み」は多いが、とにかく、「人生で最初で最後の30年間もの自由時間」が広がっている。そこで、「自分だけの余生の設計図」をイメージして、箇条書にしたうえで、できる所から、順次、取り組んでみたらどうだろうか。趣味・娯楽・旅行・終活・片づけだけでなく、仕事・学習・運動・団体活動・地域活動なども含めてよい。
寿命までに「やりたいことリスト」
完全退職した時点は「最後の30年間」のスタート地点に立っている状態だ。今後は、360度、どの方向にも進むことができる。これから、どのように過ごすのかを各自が考えて、「どの方角に向かうのか」、「当面、どのように暮らしていくのか」、「どのような目標を持つのか」等々を大まかに決めてから、まず、一歩を踏み出そうという趣旨だ。
これは、完全退職して途方に暮れている人にとっては、意外に難しい作業だ。そこで、空想でも理想でも妄想でも良いから、まずは、現時点で、あれこれイメージし、思いつくままに夢や課題、たどるべき道筋を列挙・羅列してみよう。併せて、「楽しく充実した余生」、「立つ鳥、跡を濁さずという引き際」を目指すためには、どうすれば良いのか、何をどのように準備すれば良いのかも考えてみよう。
たとえば、どこの地域で、どのような住まいで、誰と、何をして過ごすのか。生活費の規模、医療や趣味、交友はどうするのか。これからの夢は何か。何を目指すのか、どのように余生を楽しむのか、終活や身辺整理をどうするのか、それらの実施上の課題は何か、等々である。
これらを、順次、何度も分類・整理・統合しながら、自分だけの「余生の設計図」を積み上げていくのだ。ただし、綿密で完璧な設計図を描くことは誰にもできない。また、妄想しても、着手できない事項もある。
そこで、30年間を見通して、死ぬまでに「絶対にやっておきたいこと」、「やっておくべきこと」、「そのために必要な準備事項や手順」をランダムに列挙する。そして、実現可能性を踏まえ、優先順位をつけて着手する。重病で余命宣告された人が作るという「死ぬまでに、やりたいことリスト」の30年間のものだ。
その際には、健康寿命(男72.68歳、女75.38歳)を意識しながら、それぞれの課題ごとに、短期(70歳まで)・中期(75歳まで)・長期(76歳以降)ごとの到達目標、そのための方策や準備、手順や行動目標を設定する。
可能ならば、その際の手法や実施上の懸案事項なども書き加えていく。自分に残された歳月を計算しながら、実際に手を動かして、こうしたメモ作りをする過程で、かなり、頭の整理ができるのではないかと思う。
つまり、「許された時間の中で、自分は何をしたいのか」、「何をすべきか」、「何をしてはならないのか」という自分自身の整理が重要なのだ。頭の中だけで漠然と考えるのではなく、必ず、具体的な文字にすることが不可欠だ。
ただし、言うまでもなく、「余生の設計図」の最終版は永遠に完成しない。余生の設計図が完璧になるまで練り上げようと悩んでいると、先に寿命が来て実行する時間がなくなってしまう。また、明日にでも、意外と早くお迎えが来てしまうかもしれない。
軌道修正しながら、順次、実行する
そこで、「余生の設計図」のアウトラインが固まったら、完成を待たず、順次、実行していこう。そして、違うなと思ったら、進捗状況、成果と課題に応じて、ライフプランの内容も順次、改訂・変更しながら軌道修正すれば良い。そのあたりは、気楽に考えて良いと思う。
なお、その内容によっては、実行過程で、これまでの生活を大きく整理し、転換しなければならない場合もある。煩雑なだけでなく、契約や売買などの法的な手続き、家財の片付けや廃棄などの肉体的な作業、家族や親族との紛争や葛藤等を伴う大波乱の可能性さえもある。着手前に、関係者と良く相談して、「暴走老人」にならないように注意しながら進めることが必要だ。
私は、自分が高齢者になって「介護保険被保険者証」を貰うような年齢を迎えてから、むしろ、雑多な悩みが増えてきた。個人差はあるだろうが、現役時代と比べて、仕事以外の悩みが意外に多い。親の介護や入院、葬祭はもちろん、初めての手続きや事案、不本意な事件、懸案事項、雑多な悩みが連続する。
退職する前までは、「定年になったら、のんびりしたい」と考えていた。「余生は人生のご褒美のようなもので、毎日、遊んでいられる。朝から晩まで、夜中から翌朝まで、好きな時間に好きなことばかりを存分にやれる」、「毎日、悠々自適の楽しい年金生活ができる」という期間だと誰もが期待していたはずだ。しかし、実際には、必ずしも余生はバラ色ばかりではないことを実感する。余生の始まりは、「終わりの始まり」なのだ。
ただし、余生は、嫌なことばかりでもない。少なくとも、人生の末期になって、誰もが生まれて初めて経験する「最初で最後の長い自由時間」だ。せっかく、高齢者になるまで数十年も働いて頑張ってきたのだから、「最初で最後の30年間もの長い自由時間」は、できるかぎり、快適で充実した楽しい期間にしなければ、もったいない。誰のためでもない。自分のためだ。
そのためには、今から何をすべきか、何ができるのか、何をしてはいけないのだろうか。一人ひとり、状況は異なる。自分なりに整理し、今からでも、できる準備を進めておきたい。
「余生をいかに充実させるか」という課題は、自分の人生の総仕上げとして、有終の美を飾る意味で重要だ。「楽しい人生だった。もう、思い残すことはない。」などと笑って死ねたら、本人も周囲も、これほど幸せなことはないだろう。
自分だけの余生の過ごし方を計画・実行する
高齢者になっても心休まず、「何歳になっても、悩みや不安は尽きないものだ」と心から実感する日もある。しかし、生きているうちは、できるだけ、安心で充実した楽しい生活を送りたい。しかも、最後は、できる限り、人に迷惑をかけずに人生を閉じていきたい。そのためには、今のうちから自分なりの対策や準備を地道に進めておく必要がある。
ただし、実際に「何を、どのように準備するべきか」は一律には決められない。個人ごとに事情や状況、優先順位や考え方が大きく異なるため、誰も教えてくれないし、誰にも教えることができない。もちろん、他人の真似をしても、うまく自分に適合しない。
自分なりの余生の過ごし方を自分自身で計画し、軌道修正しながらも、頭や体が健全なうちに、さまざまな方面で、可能な対策から着手していくことが、安心で幸福な老後のために役立つと思う。
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