必ず禁煙できる唯一の方法 

概要

 喫煙者の3分の1は、毎年、禁煙にチャレンジするが、1年以上の禁煙成功率は、1~3パーセントにすぎないという。一方で、あっさり、禁煙に成功する人もいる。禁煙に成功する人と失敗する人の差は、どこにあるのか。動機はどうであれ、禁煙の強い意志を持つことが、必ず禁煙できる唯一の方法だ。

禁煙に失敗している人は多い

 筆者は、約20年ほどタバコを吸っていた。何度も禁煙に失敗したあげく、約25年ほど前のある日に決意して、それ以来、本当に一本も吸っていない。タバコもライターもすべて捨てた。

 当時は、駅やバス停などの公共の場でも、職場の事務室でも、各家庭でも、必ず灰皿が置いてあった時代である。統計的には、当時、成人男性の半数以上は喫煙者であり、雀荘、喫茶店、居酒屋などは白く煙っていた。

 その後、我が国の喫煙人口は大きく減ってきて、公共の場では禁煙スペースが拡大してきた。それでも、今でも日本人の喫煙率は男性25.4%、女性7.7%という(厚生労働省・2022年の国民生活基礎調査)。

 また、近年は、医師が処方する薬品等を用いて治療する禁煙外来も一般的になっており、一定の範囲では健康保険も適用されている。禁煙に取り組みやすい環境が整っているはずなのに、実際には、どのような方法を試しても、どうしても禁煙できないという悩みを持つ人は多い。

 一方で、禁煙外来に通わなくても、あっさりと禁煙に成功している人も非常に多い。いきなり、宣言した瞬間から、その後、一生、禁煙してしまった近親者もいる。それならば、禁煙に成功した人と失敗した人とでは、どこが違うのだろうか。禁煙外来に通っても禁煙に失敗した人は、なぜ失敗したのだろうか。禁煙に成功した人は、なぜ禁煙できたのだろうか。

 筆者が禁煙した当時は、禁煙外来は一般的ではなかったこともあり、禁煙のための薬や特別な技術は使用しなかった。どうも、禁煙の成否は、知識や手法、薬剤やカウンセリングの問題ではないと思う。これらは、補助的な役割は果たすのだろうが、最終的な成否の鍵は、本人の意思次第ということではないか。

実は、必ず禁煙できる方法は、ひとつだけある

 「馬を水場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」というイギリスのことわざは、「馬が水を飲むかどうかは馬しだいだ。本人にその気がないのに、まわりが強制しても無駄だ。人は機会を与えることはできるが、実行するかどうかは本人しだいだ」という意味らしい。

 タバコも同じだ。たとえば、喫煙できる場所であっても、「ある人が5分以内にタバコを吸うかどうか」は、世界中の誰も知らない。その人が自分で決めることだからだ。禁煙するかどうかも本人が決めることだ。動機は何であれ、とにかく、本人が禁煙すると本気で決意しない限り、禁煙は成功できないだろう。まさに、本人しだいだ。

 つまり、「禁煙するという強い意志を、当人が持ち、持続させること」が唯一絶対の禁煙の方法であり、大前提なのである。しいて言えば、これこそが禁煙の秘訣だと考えている。禁煙の成否は、強い意志を持つことができるかどうか、そして、その意志を維持・継続させることができるかどうかで決まる。「1時間なら禁煙できるが、10時間の禁煙はできない」といった半端な気持ちの時点では禁煙が継続できないはずだ。

 もちろん、刑務所や病院で隔離された場合には、禁煙の意思がなくても誰もが物理的に禁煙できる。また、毎日の通勤電車の中で一時間過ぎても、吸いたくなることはないはずだ。吸えないと思えば、吸いたくならないのだ。ところが、偶然、タバコを吸える場所を見つけたとたんに、吸いたくなる。居酒屋で、友達が火をつけたら、自分も吸いたくなる。タバコを吸える状況だと思えば、とたんに吸いたくなる。これは、「禁煙の成否は気持ち次第だ」ということを証明している。

 本人に自発的で確固たる禁煙の意志と覚悟がないのであれば、何かの拍子にタバコを再開してしまうことは、むしろ、当然だ。だからこそ、必ず禁煙できる秘訣とは、「本人が禁煙の気持ちを持続させること」に尽きる。禁煙の秘訣は、「技法の習得」ではなく、「意志の確立」なのだ。

 本人の禁煙の意志が薄弱なままでは、他人の成功例、他人の書いた禁煙方法に頼っても楽に禁煙できるはずがない。そもそも、他人の方法論に頼って自分の禁煙を実現させようという依存心にこそ禁煙失敗の原因があると考えられる。「楽に禁煙できる方法があるのなら、やってみようかな」 と考えている「確固たる禁煙の意志を持たない他力本願の喫煙者」は、今後とも、禁煙の本を何冊読んでも、ホームページを検索しまくっても、医師から薬をもらっても、それだけでは、おそらく禁煙は難しいのではないかと思う。

 なお、一部には、「禁煙できないのは、意志薄弱なのではなく、ニコチン中毒と習慣性のせいだ」という見解もある。しかし、それは、喫煙者全員に該当することであり、禁煙成功者は誰もいないはずである。また、病院や刑務所で強制的に禁煙できているヘビースモーカーの説明ができない。「長年のヘビースモーカーであっても、なぜ、禁煙に成功した人が存在するのか」という疑問の説明にはならない。禁煙失敗者は、全員、ニコチン中毒とタバコの習慣性の誘惑に負ける程度に意志薄弱なのだ。

  このように考えてくると、これまで禁煙を失敗してきた者は、最終的には、「自分は、どうやったら強い禁煙の意思を持てるのだろうか」というセルフコントロールの欠如という悩みに突き当たるはずだ。しかし、「本当に禁煙の意志があるのか」、「それならば、なぜタバコの誘惑に負けるほど意志薄弱なのか」などは、本人以外には分からない。決意の有無や理由や程度など、自分以外の人の心の内面が分かるはずがない。

 禁煙できない人は、おそらく、「強度のニコチン中毒だから」とか、「長年の習慣性があるから」とか、禁煙できない理由を並べて、自分を正当化していることと思うが、それは、翻訳すれば、「タバコの誘惑に勝てない」、「好きなものを我慢したくない」、「禁煙から逃げたい」、「意志が弱い」というだけの意味だ。

 しかし、そういう人でも、ある日、医師から、「あなたは、肺がんです。今すぐ禁煙しないと悪化して治療できなくなって、死にます。」と宣告されたら、どう対応するだろう。その後、病院から出てすぐに一服して、「タバコがうまい。禁煙なんか、しないぞ。」という人は、何割くらいいるのだろう。

 おそらく、大半の人は、急に「タバコを吸いたくない」と思うのではないか。「吸いたいけれども、我慢する」のではない。もう、「頼まれても、タバコを吸いたくない」と思う人が多いはずだ。この差は、極めて大きい。

 つまり、「何とか我慢して禁煙しようとする(本当は吸いたい)」のか、「我慢ではなく、自分から禁煙したくなる(本当に吸いたくない)」のかの差だ。これが、自発的な禁煙の意志の有無だ。この差が、禁煙の成否の鍵を握ると思う。

 そもそも、およそ、禁煙というものは単純であり、「ただ、タバコを吸わなければ良いだけのこと」だ。「禁煙したいと思う人が、それを自分で考えて、自分で決意して、自分で実行するかどうか」だけのことだ。

 他の人は、実質的には何ひとつ手伝うことができない。だから、禁煙が失敗したとしても誰のせいでも無い。逆に言えば、本人が本当に決意するまでの間は、当然、禁煙に失敗する状態が続く。逆に、動機は何であれ、もし、本人が本気で禁煙しようという意志を持ったのなら、たった今からでも、一生、禁煙を実行できるはずだ。

タバコ代は年間20万円、出火件数・死者数とも第1位

 毎日、1箱 550円のタバコを吸う人、1年で 200,750円を煙にしている。喫煙者は、1年間に20枚の1万円札に火をつけて燃やし、その煙を吸っていることになる。しかも、これが、毎年、続くのだから、年金だけで生活する者にとっては、タバコは高価な贅沢品だ。喫煙は、「余生という名の無職の30年間」に臨む態度ではない。

 もし、「無職・無収入で年金しか収入がないのに、毎年、20枚の1万円札を燃やして、煙を吸いこんでいる隣人」を見たら、いったい、どう思うだろうか。普通、だれでも、「とうとう、頭がどうかしたのか」、「なぜ、20万円も燃やしているのか」と思うだろう。そういう馬鹿げたことをやっているのだと、喫煙者本人は気づいているだろうか。

 そんなことなら、いっそのこと、どこかでパッと、自分の好きなことに毎年20万円を使った方が有意義ではないか。家計費とは別枠で、毎年、20万円の小遣いがあれば、相当、いろいろなことができるはずだと思う。今日から、毎日、「タバコを買ったつもり貯金」を始めてみたらどうだろうか。来年の今ごろには20万円になっている。

 しかも、今さら、言うまでもなく、タバコは圧倒的に健康に悪い。目の前で吸わなくても、吐き出す呼気にも有毒物質が含まれるので、子や孫・友人・知人など、家族・周囲の人・ペットの健康にも悪い。少なくとも、何も良いことはない。

 さらに、タバコは失火の原因にもなる。令和4年版 消防白書(消防庁)によると、令和3年中(2021年)に発生した主な火災のうち、出火件数・死者数ともに「タバコ」が第1位 だ。いろいろな意味で、理屈抜きで、本当に禁煙したほうが良いと思う。


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